紙つぶて 細く永く

2014年6月以前の記事は旧Blog(OCN)からinportしたものそのままです。鋭意改善中です。<(_ _)>

個人と概念、文明 1

日朝両民族は、漢字という「文明」を共有した。
漢字はいうまでもなく中国の発明である。
-便利だから、他民族も利用する。
というのが文明である以上、東アジアで漢字ほど重宝がられた文明はなかった。
漢民族は本来のものとしては存在せずいわば醸成された。
周辺にいて多様な文化をもつ諸民族が、食と生活の安定をもとめて流入してきた。
殷も夷(野蛮人)でありそれを倒した周もまた別の夷であった。
巨大なるつぼにそれぞれの文化を持ち込んで溶かしあった。
その産物が漢民族であり、中国文明で(その中に漢字も)ある。
中国は多様な言語群をもっている。
音の多様さを無視して、漢字という表意文字でたがいに理解しあう文明を採用した。

「倭」という言葉は、古代は日本の地理的呼称だったが、その後中国語でも朝鮮語でも蔑視語である。
儒教のたてまえからいえばそういう蔑視語があってもいいと思っている。
儒教は華夷の美を立てている。
"華"の内部に居る場合のみ、人間は人である。
"華"のそとにいる人間は、「ある種の人間」もしくは「ケモノに近い人間」とされる。
倭も人間そのものではなく、やはり倭とよぶしか原理上しかたがあるまい。
Tukubai_5
拙宅(司馬遼太郎宅)の玄関先で「三十六年やんか」という老婦人がいた。
奇妙なことにそれだけで話が私に通じた。
(その)言外の意味は、
日本はかつて三十六年間朝鮮を植民地にしていた、あなたにはそれについての贖罪意識があるだろう、
だからこの雑誌の定期購読者になる必要がある・・。
むろん、私は喜んでその勧誘に応じた。
私は彼女にとって「概念としての日本人」なのである。
壬辰・丁酉のとき、豊臣秀吉の兵として朝鮮全土をあらしまわった。
二十世紀初頭まで生きて、大韓帝国を侵略し、合併した。
さらに長命し、十五年戦争のときは、朝鮮人の個人と尊厳の象徴である姓名さえとりあげ、
かつ日本語を押しつけ、さらには強制労働に就かせ、多くのひとびとを死や一族離散に追いやった。
それでも死ぬことなく、在日韓国・朝鮮人を差別し、就職の機会均等をあたえず、
さらには、いわゆる朝鮮戦争において戦争景気で儲けもした。
「君はそういうやつだ」「私はそういう人間です」というのが"概念としての日本人"である。
むろん私自身には覚えがない、すくなくとも私は四百年も生きつづけてきたわけではない。
しかし、概念の前には、個人などは圧殺されてもいい、あるいはケムリのように実体のないものだ。

朝鮮人は、人を見ませんね」
と素朴な言い方で首をひねった老学者がある。
誠実な人柄だから、不思議に思っていることをぼそりといっただけで、朝鮮人を非難しているわけではない。
「Qという私自身を見ない」
「しかしこの場合、先生にも、同じ現象がおこっているように思いますが」
「一般に、といっているのです。
私がどういう人間で、朝鮮文化への畏敬の気持を十分もっている、ということなど、対話してゆけば
十分わかるのに、そういう個人よりも、"影"のような"背景"のほうを見ます。
"背景"というのは"日本"ということです。おまえたち日本人は、とどなるんです」
司馬遼太郎-概念!この激烈な-