紙つぶて 細く永く

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政治世界の言葉

町の饒舌な弁護士が、少し観衆に行列ができるといって、
教養のない知識をスピーカーズコーナーで捲くし立てるのとは異なる。
行列の観衆から馬鹿にされるだけならまだいい。
権力者がその無教養を晒したのだろう。
無教養の人間が大阪市長の権力を握っているという事実が公表されたのである。
大阪市民の弱い眼力・お神輿好き(何事もわっしょいで片付ける)が問われるべきだ。

最近古本コーナーでふと買い求めた書籍「政治家とリーダーシップ」を読んだ。
中の一節に、
「教養とは時代を超えて後世に手渡しする人類社会の遺産相続人を育てる点にある」という言葉が紹介されている。
それに続いて、少なくとも教養がない人間とは、幅広い知識をもたないということであり、常識がない人間だと。
物事の軽重やバランス感覚プロセスの努力をせずに性急に結論だけを求めても駄目なのである。
しかし安心していいこの本にはこんな記述もある。
歴史を学ぶのは、過去の事実について、過去の人がどう考えていたかを学ぶことだ。
歴史の条件が変われば、人間の価値観も変わる。
過去のそれぞれの時代には、それぞれの時代に特有の善悪があり、特有の幸福があった。

それでも最終的には「歴史を学ぶとは、歴史を貫通する価値観からみて、過去の不正や不公平を裁いたり、告発することだ」とも述べている。
全く同感である。Photo