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箴言3-支配と服従

生徒は教師に服従するといってもそれほどおかしくないが、逆に教師は生徒を支配するという言い方はきわめて不自然にひびくであろう。
生徒が教師の精神的価値(知識・人格等)の優越性を認めるところに、はじめて教育機能は成立する。
のみならず通常そこには権力関係の存在すらなしとしない。
一般に教師と生徒の間に支配関係が存在するとは考えられないのである。

それと対極的な従属関係として奴隷と奴隷所有者(主人)という関係をとり上げてみる。
何人もここに最も支配らしい関係を見いだすに躊躇しないであろう。
(奴隷は厳密にいうと「物」で主人の所有権の対象にとどまるから、両者の間に人間関係は発生しないという考え方もありうる)
主人は奴隷に対し単に権力関係に立つだけではない。
主人は奴隷の全人格を己に隷属させ、可能な一切の物理的強制を用いて、彼を使役する。

この主人-奴隷関係をさきの教師-生徒関係に比較するとき、すぐに明白にわかることは利益志向の同一性と対立性ということである。
教師は生徒と同じ方向を向いている。教師は人間的完成をめざし生徒もまたそれを欲する。
生徒の成績の向上は同時に教師の成功を意味し、生徒の失敗はまた教師の失敗である。
教師にとっては生徒があらゆる精神的水準おいて自分に近づき、遂には自分をも超えるのが理想である。
丸山真男-「政治的なるもの」とその限界-
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