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<近代の克服> 「転向論にかえて」第7章

京都学派

京都学派による「世界史の哲学」や「近代の超克」は西田哲学の内在的指向性を展開してみせた正当な一帰結であった。

西田幾多郎は昭和11年「善の研究」新版に寄せて以下の一文を草している。
「此書「善の研究」に於て直接経験の世界とか純粋経験(注a)の世界とか言ったものは今は歴史的実在の世界と考える様になった。行為的直観の世界、ポイエシス(注b)の世界こそ真に純粋経験の世界である」
(注a)「純粋な」経験とはすべての判断から完全に解放されていることを意味している。例えば、色や音を知覚する瞬間という純粋経験にあっては、主体も客体もなく、即ち、この経験はいかなる判断や対象化にも先立つものと考えられている。西田にとって、純粋経験と直接経験は全く同じもの。
(注b)ひろく制作,生産を意味するギリシア語。机やベッドの制作も詩作も絵を描きだすことも同じくポイエシスであったが,プラトンやアリストテレスにおいてこの語はとくに詩作,あるいは詩作の技,術を意味するようになる。なおできあがった作品としての詩はpoiēma(英語ではpoem)と呼ばれる。またアリストテレスには詩作の技を示す特別の用語としてpoiētikēがあるが,それはpoiētikē technēの略語である。

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昭和13年の講演「日本文化の問題」では次のように明言している。
「私は日本文化の特色と言ふのは、主体から環境へと言ふ方向に於て、何処までも自己自身を否定して物となることにあるのではないかと思う」
「皇室はこれらの主体的なるものを超越して、全体的一と個物的多との矛盾的自己同一として自己自身を限定する世界の位置にあったと思ふ」
また昭和8年2月号の「改造」には「現在の日本は世界の日本として世界に示すべきものを有たねばならない、」
「世界的思潮に対して自己自身の立場から世界的思想を扱ふことができて、而して後我々は世界的日本として外、世界を服せしめ、内、人心を統一することができるのである」
「今日の西洋文化はギリシャとユデヤとの二大思潮の合流に基くものと思うが、我々は更に東洋文化の流れを加へることによって世界的に貢献せなければならない」

昭和10年代における三木清をも含めて、西田門下の哲学者たちが説いた、"近代の超克"論、さかのぼってそれを支えた彼らの歴史哲学や社会・国家観の大宗は、まさしく御大西田幾多郎その人の思想の裡に既存していた。
現に彼らは、当時としては水準の高さを誇り得るだけの西洋哲学研究の業績をあげており、彼らなりに西洋哲学を"見果てた"ものと忖度される。
京都学派が外来思想の単なる翻訳紹介に終始することなく、固有の体系を構築しようとした営為と努力そのことは忘れられてはなるまい。

(しかし)

「日本浪漫派が言葉の綾で魅惑したとすれば、京都の哲学者の一派は論理の綾で魅惑した。
日本浪漫派が戦争を感情的に肯定する方法を編み出したとすれば、京都学派は同じ戦争を論理的に肯定する方法を提供した。
日本浪漫派が身につかぬ外来思想の見につかぬところを逆手にとって、国粋主義に熱中していったとすれば、京都学派は生活と体験と伝統をはなれた外来の論理の何にでも適用できる便利さを積極的に利用してたちまち「世界史の哲学」をでっちあげた。
およそ京都学派の「世界史の哲学」ほど、日本の知識人に多かれ少なかれ伴わざるを得なかった思想の外来性を、極端に誇張して戯画化してみせるものはない。
ここでは思想の外来性が、議論が具体的な現実に触れるときの徹底的なでたらめ振りと、それとは対照的な論理のそのもっともらしさに全く鮮やかにあらわれている」 -加藤周一「戦争と知識人」-