紙つぶて 細く永く

2014年6月以前の記事は旧Blog(OCN)からinportしたものそのままです。鋭意改善中です。<(_ _)>

<近代の克服> 「転向論にかえて」第2章

まず京都学派の論を取り上げる。京都学派の代表的論客高坂正顕氏は近代文明の疎外状況を鋭く指摘し
その内在的自己否定を説いた。
(ちなみに高名な国際政治学者で元京都大学法学部教授の故高坂正堯氏はその子息である。
余談であるが民主党政調会長前原誠司高坂正堯氏の教え子)
高坂氏は「近代」の内在的自己止揚を説くための前段的作業として、近代的ヨーロッパを「古典的ギリシャ
および「キリスト教的中世」と対比的に類型づける。
そして「近世」を人間中心主義の時代と規定すると同時に機械文明の時代とも規定する。
近世は人間を実在と考える時代であり、それに相応して自由を実在と考える自由主義の時代なのである。
ただその自由主義は機械主義をその媒体として見出すことによって隆盛と、自己否定の危機を将来する。
人間が機械によって自然を支配しえたとき、人間は逆に一つの機械として、自然の必然的な体系の一部と化した。
この機械文明が現代の最大の苦悩でもある。機械は自然の模倣ではなく人間の天才の構想である。
一定の時間に、一定の乗り物に乗って職場に通い、一定の職務を機械的に遂行する都会人の大部分は、
「近代の大都会と云ふ巨大な機械の一つの歯車」とチャプリンの映画「モダンタイムス」を描きつつ示す。

高坂氏の「近代」の定位(注a)および現状認識には今日においても止目に値する。
しかし所詮は東洋的「無」に一切が託される構図になっている。
「西洋においてギリシャ的実在は自然、中世的実在は神、近世的実在は人間であった。形而上的存在と考えられるものは、自然、神、人間のほかにはあり得ぬであろう」
「東洋」は決して「西洋」において実現されているところのものを混合的に培養するのではない。
それでは東洋的実在、東洋的原理は何であるか。
「東洋の原理は正に無であるのである。西洋的実在は自然にせよ神にせよ人間にせよ要するに有の原理である。ここに無を原理とする東洋の特殊な意義がある筈である」
「かくて東洋は今まで淀んでゐた堤をきったように、世界史の潮流となりつつある。そして日本は
かかる世界史的秩序の主要契機であるべき課題を負わせられてゐるのである」
                   (注a)「定位」-ある事物の位置を一定にとること。また、その位置。-

戦前・戦時のわが国の論壇における「近代超克論」は、日本帝国主義の東亜政策、ひいては世界政策をイデオロギッシュに追認しつつ、それを合理化するものであった。
京都学派の哲学における近代的"人間疎外"の超克-「近代」の超克-の論議は、原理的にはいかに短見であろうとも日本帝国主義イデオロギーとして"日本の国体"、"日本の世界政策"のイデオロギッシュな理屈づけになった。
2012
つぎに「近代の超克論」がいかなる論理において「大東亜戦争」を合理化するイデオロギーとして機能しえたか。
ここで高山岩男「世界史の哲学」(1942年9月刊)が好便な材料となる。
高山氏は序文劈頭「今日のヨーロッパ大戦は近代に終焉を告げる戦争であり」、
「このことは我が日本を主導者とする大東亜戦では極めて明白であって、何らの疑問をも挟まない」
「もし世界の汎ヨーロッパ化が直線的に進行するのであれば」
「近代に於けるヨーロッパ世界の拡張の結果、歴史の発展進歩といへば、ヨーロッパ近代への接近に外ならぬ」
支那の社会や文化はまだ中世の段階である」

高山氏の歴史概念によれば「歴史性を単なる時間性から区別せしめるものは、人間精神の空間性との、行為的総合なのであって、歴史性を特に時間性とするならば、空間性とは一般に地理性に外ならないであろう」
氏としては歴史の所産的でかつ能産的(注b)な主体として「民族」を想定される。
      (注b)「所産的でかつ能産的」-神のつくり賜いし-
「ヨーロッパの列強は経済的・政治的にヨーロッパ外世界を支配し、世界の工場となるに至った」
(現代世界史成立の第一要因)
「現代世界史成立の第二の要因としてヨーロッパの膨張に対するアジアの抵抗の趨勢」を挙示する。
この文脈において「日露戦争の持つ歴史的意義」に思いを致す。
日露戦争は、ロシアの止むことなき東亜進出に対して、我が日本が国運を賭して阻止した行動」
日露戦争は実に世界のヨーロッパ化を不可能ならしめた一大事件である」
次に「第一次ヨーロッパ大戦において、ヨーロッパ近代の原理が破綻した。経済・社会・政治・外交
に亘って、事実と理想との相容れぬ思想的原理が存してた」
「自由競争は必然的に、弱肉強食による不平等の権力的事実をもたらす」
「大戦によってこの原理に代わるべき根本原理を産む機会が開示されたにもかかわらず、ヴェルサイユ体制は
その根本原理において、何ら新しき世界観に立脚するものでなく、剰えアングロ・サクソンの世界支配秩序
ともいうべきものになっていた」
「今や近代的世界秩序の総体が新たな原理による再編成をもとめて力強く胎動している」
氏によればその発露が大東亜戦争である。