紙つぶて 細く永く

2014年6月以前の記事は旧Blog(OCN)からinportしたものそのままです。鋭意改善中です。<(_ _)>

自民党の罪2

1993年6月に政治改革を約束しながら果たせなかった宮澤内閣に対して、自民党が分裂した結果
内閣不信任案が可決され総選挙が行われた。
日本新党、羽田・小沢グループ新生党武村正義・田中秀正など自民党ハト派グループが結成した
新党さきがけが躍進し社会党が激減した。その結果非自民勢力で過半数を獲得し細川政権が誕生した。
私自身も90年代前半はメディアで活発に政治批評を発表し、社会党やさきがけを中心に親しい政治家
もいたので、当時の非自民連立政権の動きを比較的近くで見ることができた。
細川政権は、政治改革を実現するという一つの目標を共有しているだけで、本格的な政策転換を推進する
体制には程遠かった細川政権が政治改革を実現した後、急速に求心力を失ったことは当然の帰結であった。

(私も)1996年の民主党の結党には多少関わりを持っていたし、それ以後も民主党については多くの
論評を書いてきた。
民主党を純粋に客観的に論じることは私の任ではない。民主党と関わった者の個人的回想と総括という文章である。
最初の民主党は96年10月の、新しい選挙制度による衆議院選挙の直前に、社会党右派とさきがけの政治家が
作ったものである。
1996年に新選挙制度の下の最初の総選挙が行われることが確実になる中でリベラル勢力の結集は混迷していた。
結局鳩山を中心とする新党に社会党とさきがけから個人が参加するという形になった。村山、武村など村山政権
を構成した大物は新党から排除された。総選挙では、新党ブームは起こらず、
民主党は52議席と現状維持にとどまった。しかし見方をかえれば新しい選挙制度の中でともかく生き残り
自民党新進党に次いで第三党の座を確保したということもできる。(そして)新進党の解体により野党側での
政党再編が続くことになる。

第二次民主党
1997年に新進党が解体し、野党は小党分立状態となった。そのままでは98年の参議院選挙を戦えないという
切実な理由から野党の結集が模索され、民主党新進党から分れでた諸政党、旧自民党系、旧民社系、旧日本新党
所属議員が合流する形で現在の民主党が結成された。
当初は自民党の楽勝が予想されていたが橋本首相の発言のブレが国民の反発を招き自民党は予想外の大敗を喫し
橋本は退陣した。中身はともかく民主党自由党共産党社民党をはるかに上回る議席をもち最大野党としての
体裁を整えたことが躍進を引き寄せた要因であった。
その後民主党では人事抗争等が起こり新鮮さが色あせた。しかし野党第一党の存在感は続き2003年の
総選挙では177議席を獲得し昔の社会党の記録を超え、戦後の野党としては最大の議席を得た。
また、2003年の総選挙、2004年の参議院選挙比例代表部分では自民党を追い越して一位となった。

民主党自民党政治に対する改革者の党として出発した。しかし、改革とは何であるのかを明確に示すことが
できなかった。小泉が構造改革を叫んで首相になると、当時の鳩山代表小泉改革に賛意を唱え自民党が改革を
妨害するなら民主党と行おうとなどと見当違いの発言をした。
こうした混迷は民主党に限らない。小泉時代のメディアや論壇も小泉が改革という言葉を恣意的に使うことを
許してきた。1990年代前半における改革論においては生活者・消費者優先という理念のもとで
1.政治改革=生活者基盤の政党創出と腐敗防止、政策能力の向上
2.行政改革=生産者利益を擁護する官僚支配からの脱却
3.経済改革=市場原理の解放と低コスト社会の実現
の三つが渾然一体となって主張されていた。すなわち市場化と市民化という二つのベクトルが混在していた。

市場化のベクトル
市場化は公共政策の領域を縮小していき、市場原理を拡大していく。「官から民へ」「小さな政府」ということになる。
市場の力を解放することが、政治改革や行政改革の強力な武器になるという位置づけが可能であった。
また市場化は公共サービスの領域に消費者主権の原理を持ち込むという意味ももっていた。
市民化のベクトル
民主主義を徹底することによって政策形成のひずみを是正するという方向の運動。
地方レベルでも民主政治の活性化が進み、住民投票によって無駄な公共事業をとめる、情報公開を徹底して役所の無駄や
非常識を改める、男女共同参画が進み女性の政治家が増えるなど新しい民主政治の胎動が多くの自治体で見られた。

相乗り
90年代は竹下派的な利益配分政治と官僚支配はまだ強力であって、この巨大な権力構造を崩すために、
市民化と市場化が共闘を組んだ。なぜそれが可能になったのかといえば、経世会型の政治家と官僚との結合体という
敵のイメージがあまりに明確であったからということになる。改革とは自民党経世会および農水省国土交通省などの
巨大官僚組織と戦うことを意味していた。官僚の権力を削減する、族議員による利益誘導を打破するという共通項で、
市民化と市場化はある程度まで共闘できた。
2007年の参議院選挙における民主党の勝利は、社会民主主義路線を採用したことに起因している。
これにはいわゆる偽メール問題で前原代表が失脚し、高学歴で官僚、ビジネス界出身の若手や松下政経塾出身者という
新自由主義的な経済政策を志向する者の影響力が低下したことが背景としてある。
選挙の直接の勝因は、消えた年金問題に対する国民に怒りと政府に不手際であった。これは民主党の議員が調査して
掘り起こした問題で加入者が支払った年金保険料が社会保険事務所で正確に記録されておらず、もらえるはずの年金が
もらえなくなるという年金行政の失策であった。
政治の明日
社会保険庁の杜撰な業務や、道路予算の無駄遣いなど、政府が犯す明らかな誤りをたたくことは、民主政治における
メディアの使命である。しかし、悪をたたくこと自体がステレオタイプ化するとき思考停止が始まる。
思考停止型のポピュリズムを打開する突破口は、「視点をずらす」こと自体を商品化し
メディアの中に組み込むという作業であろう。視聴者の数を競うことなど最初から考える必要はない。
視点をずらすこと自体を面白がり、メディアに流布するステレオタイプを共有しない人間を
一定数獲得することこそ戦略的課題となる。
(アメリカの社会学者リチャード・セネットは)大量消費の資本主義文化に対抗する方策の一つとして
職人技の重要性を指摘する。
安価な大量生産の商品が市場にあふれるからこそ、手作りの製品も市場での居場所を確保できる。
同じことはメディアにも当てはまるであろう。
ただそれはメディアだけの課題ではない。一人でも多くの市民が、多様な発言や運動を通して民主政治の裾野を
広げてゆくことが必要である。
政策論議が一色に染まることは、政府の能力を著しく劣悪なものにする。そのことは小さな政府論という嵐が
吹き荒れた日本やアメリカの惨状を見れば明らかである。
よりよい社会を目指して手の届く空間で政治に関わるという市民のエネルギーがあってこそ、政党政治も活力を
吹き込まれ、有意義な政権交代がおこるのである。
-「政権交代論」山口二郎-抜粋