紙つぶて 細く永く

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原子力の欺瞞

ディーゼル・エンジンは二十四時間ずっと燃料となる重油を外から供給し続けてやらなくては
動かないが、原子炉の方は年に一度の補給だけで熱を出し続けるのだ。
言ってみれば、原子炉というのは下りの坂道に置かれた重い車である。
必要なのはブレーキだけで、アクセルはいらない。
いかにゆっくりと安定した速度で坂道を降りさせるかが問題なのであって、
無限の熱源である炉の周囲にあるのはいくつものブレーキである。
すべてのブレーキが壊れれば炉は暴走をはじめるだろうし、
その場合に燃料を断ってそれを止めることはできない。
制御と遮蔽が原子力産業全体の基本姿勢である。
遮蔽について実に正直に語っている文書をぼくは発電所で貰った。
「東海発電所/東海第二発電所のあらまし」という表題のその文書の文体そのものが、
封じ込めるいう姿勢、原子力に対する人間の基本姿勢、を露骨に語っていた。
「安全への配慮」という項目には「放射線の封じ込め」と題して五つの壁が放射性物質
周囲にあることを強調している。
そして箇条書きにして五項目からなるその句読点まで含めて160字ほどの短い文書の中で、危険性は
「固い」、「丈夫な」、「密封」、「がんじょうな」、「気密性の高い」、「厚い」、「しゃへい」、
という言葉の羅列によって文字通り封じ込められていたのである。
これは思考の文体ではなく、説明の文でもなく、要するに広告コピーの、売り込みの文体である。
具体性を欠くイメージの言葉を羅列して読み手の心理をある方向へもってゆこうという意図だけが
あからさまな文章である。論理的には何の説得性もない。-楽しい週末-

どこかに欺瞞がある。
世の事業はこんな風に安全性を強調はしない。新幹線も飛行機も「安全です」とは言わない。
何かを隠そうとすればするほどそれが露になる。
形容詞の煉瓦を積めば積むほど、その後ろに何か見せたくないモノがあるとわかってしまう。
原発について、危険であると言う学者・研究者が当初からいたのだ。
その主張には根拠があったから、だから推進派は必死になって安全をPRした。
その一方で異論を唱える人々を現場から放逐した。
今回の震災が起こった時、彼らが事態に速やかに対応できなかったのは、そういうシュミレーション
もしていなければ、その能力がある人も現場にいなかったからではないか。

この地球の上で起こっている現象が原子のレベルでの質量とエネルギーのやりとりに由来するのに対して、
原子力はその一つ下の原子核素粒子に関わるものだというところから来るのだろう。
「原子炉の燃料」というのはただのアナロジーであって、
実際には「炉」や「燃」など火偏の字を使うのさえ見当違いなのだ。
ヒロシマの原爆で実際にエネルギーに変わったのは約1キログラムのウランだったが、
そのエネルギーはTNT火薬に換算すると1万6千トン分だった。
両者の間には七桁の差がある。
最新の旅客機であるボーイング777LRは約160トンの燃料を積んで1万7千キロ先まで飛ぶことができる。
もしも仮にこれが核燃料で飛べるとすれば、燃料は10グラムで済む。
そこが魅力だと考えた人たちが原子力の「平和利用」を進めたのだろう。
しかし、結局のところそれは敗退の歴史だった。「原子力機関車」はプランの段階で消え、
原子力船」はアメリカのアヴァンナ号も日本のむつも実用に至らなかった。今の段階で運用されているのは
潜水艦と空母、つまり安全性の要求が商用よりずっと低い軍事利用ばかりである。
敗退の歴史は手近なところにもある。日本は資源に乏しいことを理由に高速増殖炉の開発に力を注いできた。
ウランを燃料とする炉からプルトニウムが得られて、それがまた燃料となる。
灰が燃やせる石炭ストーブって素晴らしいじゃないか。
この夢のコンセプトについて、1967年に発表された「原子力開発利用長期計画」には
「昭和40年代後半には原型炉の建設に着手することを目途とする」とあった。
それぐらい彼らは楽天的だった。1978年の同書には「昭和70年代に本格的実用化を図ることを目標として」とあった。
そして、2000年の版では「将来実用化されれば」としか書いてない。
求めるほどに遠くへ逃げてゆく。普通はこうゆうものを砂上の楼閣という。

液状の金属ナトリウムを長期に亘って安全着実に流す配管は作れない。それは放射性廃棄物の処理についても同じで、
だから六ヶ所村の施設はいつになっても完成しないのだし、フクシマの冷却装置は漏れに漏れた。
燃料棒の被覆としてジリコンは優れていたのだろうが、それでもメルトダウンは避けられなかった。
延々と長い配管無数のバルブとポンプ。そういう構造物が地震で揺すぶられるというのは正直な設計者にとっては悪夢
ではなかったか。そこでかれらは「大きい地震はないことにしよう」とつぶやきはしなかったか。
Photo_2
海岸に出てみた。防風林の松の大半は折れているが、踏みとどまって立っているものもまばらにある。
砂浜は静かで、海面は水平線まで平坦だった。
しかしこの浜にはその日、200人以上の遺体が打ち上げられていた。
またやって来たからといって
春を恨んだりはしない
例年のように自分の義務を
果たしていつからといって
春を責めたりはしない
わかっている わたしがいくら悲しくても
そのせいで緑の萌えるのが止まったりはしないと
    (沼野充義訳「終わりと始まり」ヴィスワヴァ・シンボルスカ
-「春を恨んだりはしない」池澤夏樹-