紙つぶて 細く永く

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September Dream

江戸徂徠学派の儒者亡霊があらわれ、現代の知識と語った。
信州飯田で育った高名な儒者は、父の浪人生活でやむなく江戸へ移った。
そしてやがて京都や大坂各地を放浪、徂徠とであった。

「今でも年末になると、忠臣蔵が話題になります。
先生は赤穂浪士、いわゆる四十七士討ち入りの・・・」
「四十七士ではなく、討ち入りは四十六士だ」
「・・・四十六士討ち入りの事件については少数意見の代表者でした」
「いや、私だけでなく佐藤直方も・・・」
「・・・批判者でしたが、とにかく民間では、極端な少数意見を述べられた
挙世滔々として、室鳩巣以下の儒者も、歌舞伎役者も、市井の大多数の人々も
義士で、忠義で、侍の鑑である四十六人讃美の大合唱に加わっていたとき
先生は彼らがまちがっていたと主張されました。どこがまちがっていたのですか」
「第一、幕府に事前の届け出のないすべての敵討ちは非合法です。
第二、吉良を討って幕府を攻めなかったのは敵を誤るものです。
吉良の責任は明瞭でありません。そう(=責任と)言われていることは確かでなく、噂話にすぎない。
幕府の責任は本件の処理にケンカ両成敗の原則を通さなかったことです。
第三、彼らは何の罪もない吉良の家臣を多数殺しました。
第四、たしかに藩主への忠誠において見事でした。しかし同時に幕府に対しては反逆者だ。
二重の忠誠義務の一方をとって他方を捨てるのに彼らは十分根拠を示さなかった」
「もし先生の言われるように彼らの誤りがそれほど重ければ、
なぜ彼らの人気がこれほど高いのでしょうか」と私は言った。
「だからポピュリズムは危ういのだ」と太宰春台先生はつぶやいた。

「世の中は変わらないね」と太宰春台は言った、
「今から三百年前の徳川幕府と、テロリズム対策の米国政府・・・」
「三百年前の<義士>も幕府からみれば<テロリスト>?」
「そうだ、九月十一日の<テロリスト>も相手方からみれば<義士>だ。
天上から見れば敵も味方もよくわかる。松の廊下の騒ぎの後幕府は、
吉良が何をしたのか何故浅野が切りつけたか調べもせず知りもしないで、
吉良無処分浅野切腹を命令した。
ニューヨークの惨事の直後に大統領は、自爆したテロリストの組織を知らず、
いわんや何故反米テロリズムがまき起こって来たのか背景もわからず、
いきなり<対テロリズム戦争>を宣言した」
「そういえば似ていなくもない」私はつぶやいた。
「もちろんちがいもある。犠牲者は一方が数十人、他方が数千人。一方は雪の夜、他方は晴れた日の午後」
と彼はつけ加えた。
「先生ならばどういう対策を・・・」
「いや、どういう対策もないさ、死者の魂は世界を解釈するが、変えることはできない。観察はするが、行動はしない」
「それは浪人でも似たり寄ったりでしょう。しかし対策を、実現できなくても、考えることはできる・・・」
「たとえ単なる知的好奇心のためだけであるにしても」
「それともテロリストまたは義士への対策を考えるのに<先王の道>はもう古くなったのか」
「そんなことはない」と春台先生は突き放すように言った。
「<先王ノ道ハ万世ノ常道>だと」
「それにしても<先王>の時代から少なくとも二千五百年以上経って、状況があまりにちがうのではありませんか」
「状況はちがっても原理は同じ六経によってあきらかだ。湯武放伐(注1)は正しい」
-「高原好日」加藤周一-

注1 [湯武放伐論] 孟子
「臣下でありながら、主君を殺してもよいものだろうか」
孟子応えて言う「仁を損う者を賊という。義を損う者を残という。
残賊の人は主君ではなくただの人間でこれを一夫と言う。
一夫である紂を誅したと聞く。主君を殺したとは未聞である(聞いてない)。」