紙つぶて 細く永く

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言葉 論理 報道

「ア」 グループと
「イ」 グループがあり、
登場人物は「ア」 グループA,B,Cと
「イ」 グループDの計4人である。

「ア」 グループのAさんが平凡な役職を解かれ、重要な役職についた。
その「割を食って」(表現そのまま)
「ア」 グループのBさんが重要な役職を解かれ、平凡な役職についた。
まずこれを問題視して取り上げているので、視聴者は「おおBさんはどのように不満を表明するのか・・」
と固唾を呑んで、経過のコメントを注目する。

しかし、このニュース番組はこれについての結論に言及することなく
「ア」 グループのCさんが
「一本釣り」で、「イ」 グループのDさんを「ア」 グループに誘い込んだ、と説明し
「イ」 グループの長老の恐喝的コメントを紹介して終わり。

こんな非論理的な、報道を続けるから評判が悪くなるので、
なにも、取材方法に問題のある「Yキャスター」が「適正な取材」報道
を出さないから評判が悪くなるだけではない。
基本的な論理的報道構造に問題がある場合、前キャスターの久米氏であれば
番組の中であっても、指摘し修正したであろう。

報道の分野では「権力から独立」はブランドではあるが、
「論理的整合性からの離脱」はジャーナリスト適格性の欠如である。
私は「(美的に聞こえる言葉遊びに徹した)報道ステーション」の
ジャーナリズムとしての存在意義を認めない。
昨今の幼稚的テレビ性を証明する娯楽番組としてなら別であるが。