紙つぶて 細く永く

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カラ兄 序章

現実主義者は奇跡に心をまどわされることはない。
まことの現実主義者で、かつ何の宗教も信仰していない人間は、
どんなときも奇跡を信じずにいられる強さと能力をもっているものである。
もしも目の前で、うむを言わさぬ事実として奇跡が起きたなら、
現実主義者はそれを認めるより、むしろ自分の感覚に疑いをいだくだろう。
かりにその事実を認めるにせよ、それは自然の法則内での事実であり、
自分にはその事実がただ未知のものにすぎなかったと考える。

現実主義者においては、信仰心は奇跡から生まれるのではなく、
奇跡が信仰心から生まれるのだ。
現実主義者がいったん信仰心を抱くと、必ずや奇跡を許容せざるをえなくなる。
使途トマスは自分の目で見るまではキリストの復活など信じないと言明したが、
じっさいにイエスの姿を目にすると「わが主よ、わが神よ!」と言ったという。
彼を信じさせたのは、はたして奇跡だろうか?
いや、おそらくそうではない。
トマスが復活を信じたのは、ただ信じたいと願ったからにほかならず、
あるいは「見るまで信じない」と口にしたときすでに、
心の奥底では復活を確信していたのだろう。

-ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟亀山郁夫訳-