紙つぶて 細く永く

2014年6月以前の記事は旧Blog(OCN)からinportしたものそのままです。鋭意改善中です。<(_ _)>

芥川賞と音楽

昔、森敦なる人物がおった。1912年長崎市で生まれ植民地であった朝鮮半島「ソウル」
で育ったまれた。
1931年旧制第一高等学校に入るも依願退学、この頃に小説を書き始め当時の
東京日日新聞に連載小説を発表したのだった。
菊池寛横光利一等の薫陶を受け小説作りに励もうとするも、なかなかよい作品
には至らず、奈良・東大寺瑜伽山〔ゆかやま〕に住んだそうだ。
やがて1945年ころからは奥方の故郷である山形県庄内地方に移り転々と移動したあと
1951年、8月下旬から翌年春まで真言宗の古刹:湯殿山注連寺に滞在したのだった。
この経験が、後の名作を生むのである。
やがて、東京へ居を移し印刷会社へ勤務しながら小説は少しずつ書いて居ったのであるが、
1973年7月62歳のときに『季刊芸術』第26号に発表した中編「月山」が生まれた。
これが芥川賞を受賞し、新人登竜門といわれるこの賞でのなんと「最高年齢受賞者」
に輝いているのである(いまだにその記録は破られていない)
これに共鳴したのが、新井満である。
新井満上智大学法学部卒業。上智大学グリークラブ男声合唱団)に所属するも、入院退部。
卒業後電通に入社し環境ビデオ映像の製作に携わるかたわら、
小説・歌などの創作活動に入ったのだ。そして2006年5月末日に定年退職した。
かつては昭和52年(1977年)、カネボウのCMソングとして自ら歌唱した
『ワインカラーのときめき』(作詞:阿久悠 作曲:森田公一)がヒット曲となった
もちろん、最近では「千の風になって」に曲をつけたことで有名)

上智大学学生の頃に森との酒興にて、新井がギターの弾き語りで歌ったのは
“小説:月山”の冒頭の文章に簡便なメロディーをつけただけの
即興曲であったが、それが後の組曲『月山』になった。
その夜のことを、森敦は<組曲「月山」の誕生(初出:サンケイ新聞1975年9月29日)
と題する寄稿にて次のように記している。

…ある夜、新井君は上京してぼくのアパートを訪れ、酒盃を傾けて微薫に及ぶと、
携えて来たギターを抱えて歌いはじめた。「ながく庄内平野を転々としながらも、
わたしは肘折の渓谷にわけ入るまで、月山がなぜ月の山と呼ばれるのかを知りませんでした」。
まさにぼくの小説『月山』の冒頭だが、新井君は一句も変えず、
ときにリフレインするだけで歌いつづけ
「そのときは、折からの豪雪で、危うく行き倒れになるとこを助けられ…(中略)
…かえってこれがあの月山だとは気さえつかずにいたのです」に至って弦の手を止めた。
ぼくはまさかぼくの文章が、そのままフォーク調に乗るとは思ってもいなかったので、
まず驚かずにはいられなかったが、それにしても新井君の声は澄んでいて高くて美しい。…(以下略)
森敦:著、「わが青春 わが放浪」(1982)

このレコードを発売当時に購入した。フォークソング全盛のころであったが、
買い求めたレコードショップで「組曲:月山」と告げると、クラシック楽曲売り場へ連れて行かれた。
それも懐かしい想い出である。
矢張りこの時代に心に残る名曲が集中している。
組曲:月山」「知床旅情」「想い出の赤いヤッケ」「遠い世界に」
「友よ」「チューリップのアップリケ」「山谷ブルース」
さらば青春」「しおさいの詩」「木戸をあけて-家出する少年がその母親に捧げる歌- 」
「遠くで汽笛を聞きながら」「別れのサンバ」「光の中に」
「帰ってきたヨッパライ」「悲しくてやりきれない」

来年は森敦生誕100年である。みんなで山形へ行こう

おまけ「砂山」