戦後の制度は二つの側面で根本的に変わった。
平等主義と
人権や個人の自由
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平等主義は徳川時代の身分制度の極端な差別を廃して普通選挙法の方へと動いてきた。
戦後には、米国の影響下でそれがさらに強化された。
もともとあった変化の方向を強化するという形でかぶってきた。
しかし、もともとなかった価値については日本人の心に深く浸透し定着しなかった。
それが自分自身の意見を主張することと、
ほかの個人の意見を尊重する態度である。
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正しさの概念が「数」から独立している、
最後の根拠が個人の良心の中にある、
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という考え方は浸透しなかった。
だから、少数意見の尊重ということがあまり発展しなかった。
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戦前戦後の連続ということでいうと、戦後世代の責任がある。
世代は変わっているが、ある事柄が連続していれば同じ感性が続く。
そういう意味から戦後世代の戦争責任という問題になる。
戦後世代の戦争に対する直接の責任はない。
しかし、かつて戦争を生み出したような考え方、あるいは文化
が持続していれば、それの持続か断絶かという点で戦後世代に責任がある。
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たとえば大勢順応主義に対して責任がある。
大勢順応主義が最も危険なのは、その大勢が戦争に向かったとき。
その大勢順応主義に批判なくして直接の戦争責任のない人たちが、
戦争に関して責任はないことを主張するのは無理だ。
そうして結局戦争は起こりえる。
抜粋 加藤周一-「私にとっての20世紀」-より
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オバマ大統領の戦争責任はまさに核廃絶への取り組みこれを推し進めようとするのか、
軍産学による大勢に押し切られるのかが正義の核心ではないか