紙つぶて 細く永く

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加藤周一

沈みゆく日本の中で

75回目憲法記念日 憲法記念日で諸兄の意見再読 加藤周一「護憲の理由」 武器の破壊力は絶えず増大し、戦争の被害はかぎりなく拡がってゆくから、もし人間社会が生きのびるとすれば、いつかは戦争をやめなければならず、いつかは世界連邦政府を成立させなけれ…

人類愛と知性

イエナの大学の数学の教授 イエナの大学の教授、ゴットローブ・フレーゲ(1848-1925)は命題論理学の基礎を創った論理学者として有名である。ヴィトゲンシュタインも『論理哲学綱要』の序に、その仕事を負うところの多いただ二人の哲学者として、バ…

人と組織

(以下引用はいずれも加藤周一「夕陽妄語Ⅵ」 1997年1月22日文章より) 私はまた日本国のことも考える。この国ではいかに多くの政治家や財界の指導者や高級官僚や学者や「メディア」の幹部が、心ならずも、組織のなかで組織からわりあてられた役割を果…

ヴェトナム戦争と三世凡庸首相

研ぎ澄まされない、弱い感性 昔、学生運動に与し権力を批判していた。 そして武器を持ち、「腕力」で正義を実現しようとしていた。 しかし挫折した。 何十年かを経て、今は生活のために自民党員にさえなった。 それでも、いまだにUSAのベトナム戦争に対す…

タテカンそして文学の中心京都

言霊の呪い:中心京都のタテカン 日本文学に著しい特徴の一つは、その求心的傾向である。ほとんどすべての作者は、大都会に住み、読者も同じ大都会の住民であって、作品の題材は多くの場合に都会生活である。地方にも口伝えの民謡や民話があった。しかしそう…

タテカンと強弱の同化

京都大学:憲法にいう不断の努力 第十二条この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。 * 京都…

タテカンと京都の景観

議論となった京都タワー 人工的な建造物だけでなにもない左右対称の景色 八木晃介花園大学名誉教授美術評論家の故・針生一郎和光大学教授が「ビラや落書きも都市の美観を構成する」と説明、パリの公共建造物の壁などには何世代にもわたるビラが貼られ、落書…

もう一方の1968年 長くなりそうなのでPart2 了

1968年ベトナムソンミ村虐殺 1953年ディエンビエンフーの戦いでフランス軍が歴史的な敗北をした結果、泥沼と化したインドシナでドミノ理論によるインドシナの共産化を懸念したアメリカ合州国はジュネーブ協定に調印せずベトナム南部に傀儡政権を樹立…

もう一方の1968年 長くなりそうなのでPart1

加藤周一「言葉と戦車を見すえて」より 今やプラハの大衆報道機関新聞・放送は、共産党政府の政策批判という点で、モスクワのプラウダよりもはるかに自由であったばかりでなく、アメリカ帝国主義の公然たる批判という点で、東京のNHKよりもまたはるかに自…

精神の糧

責任の所在 政権の体たらくを見て嘆き、政治をこの政党には任せられない。そのような状況でも政権交代が行われないのは、野党がだらしないからだ。という論点がある。よく考えるとこれには「誰か政権運営を巧くやってよ」という他人任せのところがある。少し…

地域から孤立した無比の文化という誤想

池上彰の記事を読んで、加藤周一「日本文化の雑種性」が似ているなと思った。*アイスホッケー女子の南北合同チームがスウェーデンと対戦したときのこと、北朝鮮の応援団とリンクを挟んで反対側に、韓国のチアリーダーたちが現れ、自由奔放なダンスを披露し…

美学革命 掌のなかの宇宙 加藤周一

紹鷗の門弟の一人であった千利休は茶室をさらに小さく(二畳)し、入口の縁を廃して「露地」を強調し、角柱の代わりに自然の表面を残した丸柱を用い、白い壁に代えて荒壁とした。茶碗は利休自ら長次郎に作らせた楽焼である。それは一方の極端から正反対の極…

官吏の習性

今回の「森友学園」でも感じたが、公務員が扱う金銭感覚は一種不可思議なものだなあとつくづく感じる。 何事も一種の契約に基づいてことは始まり、「発注」行為が、あり「納品」行為を受け、「検品」を行い、「請求」を受ける。それがたとえ同じ相手から同じ…

先人の知恵にも松竹梅

「学者というものは、普通の人より頭もよくしっかりとものを考えているのだから、間違うはずはない、と思いがちだが、学者の態度は、対象から身を引き離して、それを観察し形式論を立てるに過ぎない」 という論がある。ここで「学者が間違うはずはない」=完…

憂われるジャ-ナリズム by加藤周一

ちかごろジャ-ナリズムについて憂いを持った意見が多い。手元にある加藤周一の著作を紐解くと・・*「日本の新聞」第一、発行部数が途方もなく大きい。いわゆる三大紙のそれぞれが何百万である。発行部数からいえば、これはイギリスの大衆新聞の型に属し、…

そして未来 7

取材をしながら、マスメディアへの不信を肌に刺さるくらいに感じたのは、福島原発事故後のデモが初めてだった。「おまえたちが隠しても無駄だ。ネットに本当のことが書いてある」。複数のデモ参加者にそう言われた。政府と東京電力とマスメディアがぐるにな…

そして未来5

加藤周一「国の犯罪」という一文から。*ドイツ占領下にあったフランスでは北部はドイツ軍が直接に統治し、南部ではヴィシーのフランス政府が占領軍に協力していた。その協力は強制されたものでやむを得なかった、というのが、今までフランスで広く信じられ…

狂言500年と憲法50年 1997年

加藤周一(夕陽妄語Ⅳ「狂言と憲法」から)私はまた憲法にも興味をもつ。そもそも私が茂山千之丞さんと狂言の話をする機会を得たのは、憲法記念日の集まりに招かれたからであり、憲法に触れなくては義理がわるい。とにかく五百年ほどまえに成りたった芝居と、…

教養その2

過日バスに乗っていると途中から観光客らしき二人ずれが運転手と話をしていた、すぐ横に座っていたので様子を聞いていた。観光客「一日乗車券ありますか?」運転手「売り切れです」(きっぱりと)観光客二人「・・・」運転手 無言観光客財布の中を探り、それ…

見識について教えられること

仕事を引き継ぐことになった。1年以上長く取り組んだ仕事も多い。対象が限られたエリアで長く深く話をした人も多い。全くの一から作った人間関係をこの短期間に引き継ぐという弊害ももちろんあるのだが・・引き継ぐ職員は兼務という。ご他聞にもれずこの組…

そして加藤周一

いったん、今日という日には何かを記さなければと考えたが、そんなものに付き合わされてもいやだなという感覚もあり、そして以下加藤周一です。*信念または偏見、または価値について私は狂信主義を好まない。また特定の価値を信じて勇気ある人間を尊敬しな…

続いて加藤周一

「帰郷の弁Ⅰ」米国がいくさをしている。そのいくさがどこまで拡大するかわからない。しかもその米国の軍事基地が日本にある。という状況のもとで、いくさの拡大にはっきり反対もせず、軍事基地の存在にも反対しない日本の政府は、さすがに悟りの境地に達して…

本日の加藤周一

1930年代のはじめから加えられた激しい弾圧は、左翼の知識人の「転向」を生みだした。30年代の後半から戦時中にかけては、広汎な知識人の側から権力との妥協がおこった。妥協は半ば外から強制され、自覚的に行われたが、半ばは内側から、無自覚に行わ…

わたしはこれで仕事をやめました

現代の先進国社会に共通の、著しい傾向の一つは、非人格的組織(公的および私的な)を通じて個人の社会への「組み込み」がすすんできたということである。非人格的な組織というのは、その成員が、人格の全体をそこに投じるのではなく、明らかに限定されその…

教養

Wikipediaでは教養をこう定義する。「一般に、独立した人間が持っているべきと考えられる一定レベルの様々な分野にわたる知識や常識と、古典文学や芸術など質の高い文化に対する幅広い造詣が、品位や人格および、物事に対する理解力や創造力に結びついている…

夕陽妾語 一九八八年の想い出

「一九八八年の想い出」 加藤周一「夕陽妾語」より*一九八八年の暮れ、消えない想出が三つ私の心のなかに生きている。その一つは、「ペレストロイカ」のモスクワである。そのことにはすでに触れた。 もう一つは、野坂昭如原作(一九六七)、高畑勲監督のア…

「文学とはなにか」加藤周一

「文学とはなにか」加藤周一(覚え)*科学は具体的な経験の一面を抽象し、抽象化された経験は、他の同類の経験と関係づけられて分類される。このように抽象化され、分類された経験は、原則として、一定の条件のもとでくり返されるはずのものである。したが…

知識による正義と表現による正義

昨夜の阿部は久しぶりに4番らしい仕事をしたとある。今季は81試合で打率2割4分7厘、10本塁打、33打点。並以下の成績である。しかし選手間の評価は高い、前回のWBCでも阿部のサムライジャパンといわれた。後半の活躍を期待しよう。そして甲子園の季…

加藤周一「戦争と平和 上」 より 

OCNブログ人終了に伴って移動してきました/元ブログhttp://greengrass.blog.ocn.ne.jp/ *「内乱と呼ばない米側の虚構」ベトナム戦争の源は、1954年ジュネーブ協定成立の後、米国がサイゴンにディエム政権をつくって、軍事顧問団を送ったときにさかのぼ…

5月3日

(再度加藤周一から「まえがき」)たとえば、「九条は非現実的である」、あるいは「今日の現実に適合しなくなった」という議論があります。しかしそれだけではあまりに漠然としていて賛成も反対もできません。そういう場合に一言の下にそういう言説を退ける…